倒壊




 シュートの部屋は、当たり前だが、シュートの物だけで溢れかえっていてそのどれもにシュートの影や染みが色濃く刻まれている。他の誰も寄せ付けない。誰の気配も受け付けない。自分が自分でいれる場所を、大切な物でいっぱいにして大事に大事に育んでいる。ガラクタで作り上げられたような脆い城。オレはそれを崩してやりたかった。ぱんぱんに荷物の入ったボストンバッグを車のトランクに投げ入れる。トランクの扉を閉めたその音は、まるでオレの体を真っ二つにするように体中に響いた。目を閉じて、夢想する。湿気が酷く纏わりつくような熱気、露店で埋め尽くされた大通り、そこを埋め尽くすたくさんの人々、通りから外れた場所にある店、一際目立ち輝くターコイズブルー。まるで昨日のことのように思い出せた。5年前に買ったピアスは、箱に仕舞われたまま車のグローブボックスの中で眠っている。



 ラジオから流れている古い歌は、すれ違う車が皆空気を切って行くせいであまり耳に入ってこない。シュートは、ハンターにとってはあまりにも長い、一般人にとってはあまりにも短い入院期間を終えて今日、退院をした。つまりは、めでたい日だ。助手席に座るシュートは所在なげにシートベルトを握り締めている。ハンドルの合皮を親指で擦り上げる。シュートは変わった。オレにとっては、それもう明らかに。シュートを覆う分厚い何かは取り払われて、そいつを取り除くために手にしていた数々の道具たちをオレは放り投げるしかなかった。そうすればオレたちは、なんの隔たりもなく握手を交わすことが出来るのに、オレはまだ全部を放り投げられずにいる。
「体、なまってないかな」
 シュートがくぐもった声を出した。赤信号で車は一時停止する。前に停まる車のウィンカーがチカチカと光っていた。
「鈍ってんならまた鍛えりゃいいだろ」
 ラジオから歌が聴こえる。"君がいなくなってとても寂しい。だけど、帰ってきてくれるんだね。これからはうんとやさしくするよ。とうとう君が帰ってくるんだ" クラクションのひとつでも鳴らしてやりたい。ラジオの周波数をニュース番組に合わせる。「そうだな」シュートが遅れて答えた。横を見ると右手を頻りに動かしている。修行なんていくらでも付き合ってやれる。前の車が動き出す。信号は青色に切り替わっていた。



 途中で立ち寄ったファストフード店で昼食を取り、また車で長い道のりを走りだす。ファストフード店にいる間、シュートは久しぶりに触れた人の賑やかさに少し物怖じしたように辺りを頻りに見回していた。その様子を見つけて安堵するオレも大概だ。シュートから壁が取り払われることを望んでいたことに嘘はないのに、まるでオレがシュートの変化を歓迎していないようで罪悪感のようなものを覚える。助手席に座るシュートは静かな寝息をたてている。ラジオの音量を絞り、風の音を聴く。こんな風に寝顔を晒す相手が、これからオレ以外に出来るのだろうか。





「シュート、おい、着いたぞ」
 肩をゆらすと、まぶたがゆっくりと開いて、そこから覗いた瞳と視線が合う。シュートは目をこすり、口をむぐむぐ動かし起きているのか寝ているのかわからない不明瞭な声で「うん」と返事をした。肩を叩いてから車のエンジンを切り、外へと出る。伸びをしてから新鮮な空気をいっぱいに吸い込む。長い運転で体が凝り固まっている。しばらくしてシュートが車から出てきた。
「家に帰るの久しぶりだな」
 シュートが自宅を見上げて独り言のようにつぶやいた。時代に取り残されたような外壁に蔦の伸び掛かった古ぼけたアパートはシュートによく似合っている。バルコニーの手すり部分だけが気取ったような赤色をしているのが少し滑稽だ。トランクからボストンバッグを取り出してシュートに手渡す。シュートはバッグを肩にかけると小さく咳払いをした。
「今日、車出してくれてありがとう。入院中も荷物取りに行ってくれたり、色々……」
 シュートの言葉が段々と小さくなる。「今更だろ」俯いて放った言葉はかすれていて格好が悪かった。ありがとう、とそう言ったシュートの言葉の響きに、ターコイズブルーを思い出す。放り投げられずにいる、ただひとつの道具。シュートはまだその場に立ち尽くして、アパートの階段を登る気配はない。「ちょっと待ってろ」助手席のドアをあける。グローブボックスを開いて、一番奥底に眠っていた箱を取り出し、ざらついた箱の感触を親指で確認する。その感触は、憎たらしいくらいに手に馴染まなかった。手のひらで一度転がしてから、箱をシュートに投げ渡す。
「退院祝いってわけじゃねえけど、それやる」
「箱がボロボロだな」
「うるせえな、文句言うなら返せ」
 シュートは受け取った箱をまじまじと見つめて、親指で角を撫でると照れ臭そうに笑った。「貰うよ、ありがとう」初めて見る笑顔だった。シュートを囲う壁があったら絶対に見ることはなかった笑顔。オレは寂しいような嬉しいような気持ちで綯い交ぜになってそれ以上は言葉を紡げなかった。照れ隠しの一言も喉の奥で消えていく。シュートは変わった。それは本当に嬉しく思う。嘘なんかひとつもない。これでよかった。でも少しの寂しさを抱くエゴをどうにも出来なかった。シュートはまだその場に立ち尽くして、動く気配もない。助手席のドアを閉める音が辺りに鋭く響き渡る。
「早く家入れよ」
 運転席側に移動してからそう言うと、シュートは目を何度かしぱたかせた。それから少し考えこむようにうつむく。シュートの右手でいじられるピアスの箱をオレはじっと見つめて言葉を待った。しばらくすると右手が箱をぎゅっと握った。
「家、あがっていかないのか?」
 今度はオレが目をしぱたかせる番だった。運転席のドアにかけた手を一度見つめて、もう一度シュートを見る。顔が段々と熱くなる。きっと目に見えて真っ赤になっている。終には崩せなかったガラクタの城。投げることの出来なかった最後の一投。シュートの変化を、嬉しく思う。本当の本当に、その気持ちに嘘なんか、ひとつもない。解体工事はもう始まっている。









ツイッターで仲良くさせて頂いているどいさんへ贈ります。
最近幸せなことが多すぎてコリャ〜随分と長い夢だな〜と思ってます。
余談ですが、上の「多すぎて」を「大好きで」とタイプミスして一体どうすればそんなミスをするのか、頭は大丈夫だろうかと思いました。
ネタ提供してくれたどいさん、本当にありがとうございました。折角頂いたネタをあまり活かしきれてなくてスミマセン…。