テレフォンセックス

 そうしたらよ、と電話の向こうでナックルが言う。武勇伝でも語りだしそうな口調で、ナックルはコンビニでの出来事を語る。
かれこれ20分は、そんな調子だった。中身のない話を延々と続けている。
オレはと言えば、ベッドに寝転がり、爪の間を見つめながら「うん」とか「ああ」とか気のない相槌を打っていたが、ナックルはお構いなしだ。
 オレみたいな人間が話のきりがいいところなんて探していたら夜が明けてしまう。どうせ相手はナックルだ。話も佳境に、というところでオレは「なあ」と声を掛ける。
「ちょっと待て、今いいところだから」
「それはまた今度聞くから、電話の要件はなんだ?」
そう聞くと、ナックルは電話の向こうで押し黙ってしまった。オレは話の上手い人間ではないから、ナックルが黙ってしまうと、一緒に黙ることしか出来なくなってしまう。
沈黙の間に、シーツの波を平らに直す。暫くそうして遊んでいると、ナックルが咳払いをした。電話を持ち直す。
「師匠から聞いたんだけど、お前明日オフだろ?」
「そうだけど…」
「オレも明日はオフ」
 今度はオレが押し黙る番だった。ナックルの言いたいことがわからないほどオレは馬鹿でもないし、子供でもない。ナイトテーブルに置いてある時計は午後8時45分を指示していた。
泊りも込みとなれば今からでも遅い時間ではない。そういえばナックルとは随分と会っていなかった。
「今部屋汚いんだけど…」
「いつもだろ。今から行く。」
 コンビニでの出来事を語っていた時のような嘘っぽい暑苦しさは一片も感じ取れない声を最後に通話が切れた。
ナックルが来るとなると、この綺麗に平らになったシーツを不自然でない程度に波立たせないといけない。
整えられたシーツを見て、ナックルが何を言い出すかなんて、わかったものではない。



テレフォン(で)セックス(したいという旨を伝える)









髪下ろシュートと無精髭

 こいつはたぶん人間としての自覚が足りてない。玄関の先に見えるシンクの惨状たるや。さらにその先の部屋の惨状は想像したくもない。だが家に行くと言ったのはオレだ。想像する間もなく現実を目の当たりにしなければならない。
お前何日まともに寝てない?そう尋ねると、シュートは無精髭を辿々しく指で撫でながら、覚えてない、と言った。痛み出す頭を、目をぎゅ、と瞑ることでやり過ごす。今回ばかりは、まあ仕方ないのだ。こいつの自己管理による不摂生が祟って今こうなっているわけではない。入れ、とシュートに目で促されたので、敷居を跨いで玄関で靴を脱ぐ。
「論文、あとどのくらいで終わるんだよ」
「今日中に終わらせて、残りの一日をゆっくりと寝て過ごしたいな…」
 こいつ相当疲れてやがるな、と思った。普段喋らないどうでもいいことまで一気に喋るなんて、今オレと喋ってるっていう認識がシュートの中にあるのかどうかさえ怪しい。シュートに通されて入った部屋は、覚悟していた通りだった。シュートは座椅子に腰を下ろしてから、両手で顔を覆ったまま動かない。暫くして顔から両手を離して天を仰いだ。まずいな。オイ、と声をかけて二回指を鳴らす。パチン、と乾いた音が鳴る度にシュートの瞼は忙しなく瞬きをした。
 「飯は?」顔を覗きこむ。「まだ」シュートは頬にかかった髪の毛を緩慢な仕草で耳にかけた。シュートの痩けた頬に、ちゃんとしたもん食べてんのか、と言いかけて、机の隅に置かれたデリバリーピザの箱が視界に入り目を細める。小言を一つでも言いたくなってきた。何日も食べてないというわけではなさそうなのは唯一の救いだ。以前2時間に渡って説教してやったのが効いたらしい。まあとにかくだ。小言も説教もシュートの無精髭とボサボサになった髪が綺麗になった後だ。
今はオレの手料理をシュートの胃に収めることに専念しよう。









隣同士がいちばん自然

 どうやら仕事の話をしているらしかった。モラウさんとシュートで休憩に立ち寄った喫茶店でコーヒーを飲んでいるときのことであった。知り合いを見つけたらしいシュートがわざわざ席を立って店を出て行き、声を掛けるものだから手慰みに手の中で遊ばせていたスティックシュガーの袋を取りこぼしてしまった。窓際に位置する席に案内されていたのでシュートの挙動の一つ一つを観察するのはそう難しくはなかった。シュートは携帯を取り出して画面に指をさしながら相手に何かを説明している。距離が近いな、と思った。シュートの纏め上げた髪の毛が相手の頬をかすめそうなほどだった。何に対して、というわけでもないが、へぇ、と頭の中でつぶやく。ふぅん、へぇ。シュートなんかわかりやすく緊張しているのに、相手は何も気付いていないように画面を覗きこんだ。とうとうシュートの髪の毛は相手の頬をかすめて揺れた。可哀想に。

 説明を終えたらしいシュートは、いっそ不自然なほど相手との距離を取った。何か確認を取るような仕草をすると、相手は納得したように頷いた。お互いに片手を上げる。

 シュートから視線を外してモラウさんを見ると、片眉を上げて、とんでもないものを見るような表情をしていたので、なんスか、と問うと、いいや、と顔の前で手を振った。いつの間にか拾い上げていたスティックシュガーの袋は手の中でグシャグシャになっていた。カランコロンと昔風情の音を鳴らしながらシュートが店に戻ってきた。ピリピリとした雰囲気を漂わせながらオレの隣に、珍しくどっかりと座り込んだ。深い溜息が耳に届く。
「髪の毛切れよ」
「はあ?なんだよ急に」
「邪魔だろ、ほら、あと少しでコーヒーに浸るぜ」
 シュートは慌てて後ろに仰け反って、垂れ下がる髪の毛を手で押さえつけた。頬杖をついて笑うと、シュートはあからさまにムッとするし、シュートの足を踏みつけると、やめろよ、と迷惑そうな声と顔で肩を押してくる。愉快ったらないね。ふう、と息をついてコーヒーを一口飲んでからモラウさんに話しかけようと顔を上げる。するとまた先程のような珍妙な表情をしていたので、なんスか、と問うと、いいや、と同じように答えて、今度はその手で顔を覆った。









好きかも、しれない

 砂糖の入ったボウルに卵を割り落とす。男二人で何をやっているのだろうと思った。単に、腹が減っていた。でも近くのコンビニに行くのすら億劫だった。ただ、それだけだ。隣のシュートは慎重な手つきで薄力粉の重さを量っている。分量器の向こう側には中身を無くしたベーキングパウダーのパッケージが転がっている。

シロップねえの、あると思うか?、シロップは、無いって言ってるだろ、じゃあ何で食うんだよこれ、ハチミツがある、妥協も必要か、文句言うな

 焼きあがったパンケーキを乗せた皿とハチミツの詰まった瓶をテーブルの上に乗せる。パンケーキの甘い香りが食欲をそそる。シュートがナイフとフォークを持ってソファに座ったのを確認してから瓶の中にたっぷりと詰まったハチミツをスプーンでひとすくいしてパンケーキの上に垂らして伸ばす。とりあえず使い終えたハチミツをシュートのほうに寄せてやる。シュートが同じようにスプーンですくうのを横目で確認しながら一口大に切ったパンケーキを口に運んだ。パンケーキにハチミツも、まあ悪くない。

 パンケーキを乗せた二枚の皿はあっという間に空っぽになった。少し温くなったコーヒーが甘くなりすぎた口内に丁度よかった。遠くのほうで飛行船が空気を揺らしている音がしている。「洗ってくる」と立ち上がって自分の食器を手に取ると、シュートは自分の食器を引き寄せた。
「あとでやっておくよ」
「そう言って洗いもん溜め込むんだろ」
 かせよ、と手をだすと、シュートは口をむぐむぐ動かしながら引き寄せた食器を手渡した。こういう瞬間が好きだった。頼られている、なんて言えないほどに些細なことだ。それでもオレにすべて明け渡してくれてるように思える、この瞬間が好きなのだ。
 食器をすべて洗い終えてソファに戻ると、シュートは居心地が悪そうに膝を抱えてスエットの裾をいじっていた。体をソファに沈ませるとシュートはなんでもないように裾を払った。首の後ろが落ち着かなくなる。必要以上にシュートの世話を焼いているということは、自覚している。
「パンケーキ、うまかったな」
「ああ」
「また今度作るか」
 言いながら顔を向けるとシュートは浮かぶような嬉しさを隠すように、困った顔をして笑っていた。パンケーキとハチミツの甘ったるさが脳裏に浮かぶ。ああ、こりゃあまずいと思った。















ナッシュ掌編詰め合わせ。最後の2つはこちら(『確かに恋だった』http://have-a.chew.jp/)のお題サイト様にある「微妙な距離のふたりに5題 」の最初の2つからお題を頂いています。5つ全部やろうと思ったんですけど諦めました。時には潔さも必要です。