深夜のしじま















 突然家を訪れたナックルに、表情を隠すことも忘れて唖然とすると、それを見たナックルはバツの悪そうな顔をした。ああやっちまったとでも考えていそうだった。意外にもナックルはオレの予想した台詞を吐息で隠すようにつぶやいた。開け放たれたままのドアから冷たい夜風が流れ込む。ナックルは後ろ手にドアを閉めるとオレの肩を手の平で押しながら家に上がり込んだ。ナックルの手はTシャツの上からでもわかるほどに冷えきっていた。深夜だし、冬だし、寒いに決まっている。
「認めるぜ、オレはほとんど無意識にお前の家に来たよ」
「何も言ってないだろ」
今度ははっきりと「ああやっちまった」と口にしながらリビングに入り込む。ナックルは粗暴な仕草でマフラーを外すとソファの背もたれに引っ掛けた。照れ隠しをしているのだ。つけっぱなしにしていたテレビからタレントたちの笑い声が響く。ナックルの照れ隠しに被せるように響く笑い声、タイミングとしては可笑しいくらい完璧なのに、ナックルが連れ込んだ外の空気とは上手く噛み合っていなくてなんだかちぐはぐとしていた。瞼をしぱたかせる。
「何か飲むか?」
自分の部屋にいるのに置いてけぼりにされた気持ちになってしまって、とりあえず尋ねる。ナックルはこたつで暖まりながら「酒」とだけ答えた。少しだけ思案してからマグカップにココアの粉末を入れてポットのお湯を注ぐ。
「オレが買い置きしておくほど飲まないって知ってるだろ」
ナックルの前にマグカップを置くと特に文句も言わずに手をつけた。綿毛のような湯気が立つマグカップを口に寄せて息を吹きかけて冷ましている。冷たい外気に晒されていたせいで真っ赤に染まったナックルの鼻の頭と、真白い湯気とを見比べて、暖房を強める。静音性は抜群だ。静かに部屋を暖める、優秀なやつ。テレビの音以外は、とにかく静かだった。ともすれば、少し離れたキッチンから冷蔵庫のブーンとした動力音ですら聞こえるほどだったので、静けさは余計に際立っていた。

 テレビの画面下部ではスタッフロールが流れ始める。もうすぐ番組は終了する。テレビの中のタレントたちは綺麗な顔を艶やかな笑顔で飾っていて、それがほんの少し怖かった。何を話すでも、何をするでもなくテレビを眺めていると、こたつの中で足が触れ合った。番組が終了した一瞬の静寂に、秒針の動く音がカチンと鳴り響いた。ナックルはこちらを見もしないで、湯気立つマグカップに口をつける。顔がじわじわと熱くなるのを止められる術を、オレは持っていない。触れ合った足を離すタイミングを逃してしまって、くっついたままのナックルの足は、未だにひんやりとした冷たさを保っていた。触れ合った場所から沸き立つ緊張のせいで、呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、ぐうと息が詰まる。ナックルがそっと足を離した。テレビ番組は喧騒とはかけ離れたニュース番組へと切り替わり、部屋の静けさが不自然なほどに浮き彫りになる。そっと息を吐いたその音ですら耳に喧しく感じられたので、いっそのこと息をすることをやめてしまいたいと思った。ナックルが聞いたら、バカ、とかなんとか言いながら笑うだろう。オレの髪なんかも、わしゃわしゃと掻き回すのだろう。皮膚の厚い、その手のひらで。


 手首を掴まれて顔を上げると、ナックルの視線とかちあう。マグカップの中身はいつの間にか空っぽになって、隅っこのほうに追いやられていた。ニュースキャスターが粛々とニュース記事を読み上げている。自然と顔を寄せ合い触れ合った唇からはほのかにココアの香りがした。ナックルの下唇を食むと、仕返しとばかりに上唇を舐められ、頬に添えられた手のひらで頬をするすると撫ぜられた。互いの吐息が融け合う。差し込まれた舌に上顎を舐められ、歯列をなぞられ、背筋にじんとした甘みが広がる。ニュースキャスターは番組終了の挨拶を告げる。それを合図にしたかのように唇は触れ合わせたまま、ナックルは体を乗りあげた。そのまま押し倒そうとしてくる体に手を回そうとした瞬間、ゴン、と重たい音が二人の頭上に振って落ちてきた。顔を離して、見つめ合う。オレが頭をぶつけた音ではない。二人揃ってこたつの向こう側を覗きこむと、マグカップが床に転がり部屋の明かりを浴びて鈍く光っていた。まるで仲間はずれにされたことを非難しているかのようで、少しの後ろめたさを感じる。これもきっとナックルが聞いたら、アホ、とかなんとか言って笑うだろう。ナックルは頭の後ろを掻いて、さっと体を離しながらそっけない風に「ゴムは」と訪ねてきた。オレも頬を掻きながら「買わなきゃない」と答えを返す。返答を聞いたナックルは立ち上がってソファに引っ掛けたマフラーを手に取ると手早く首に巻きつけた。
「買い物行くけどなんか欲しいもんあるか?」
「・・・水、500mlのペットボトルで、二本」
途端にナックルがニヤつき始めた。決まりが悪くなって、足の裏でナックルの脛を押すと、ますますやに下がった表情で「わかったわかった」と両手を上げる。
「だから、何も言ってないだろ!」
ナックルはオレの非難をまるごと背中に受け止めて、ほとんど逃げるように部屋を後にした。ドアがバタンと閉まる音が耳に届く。足の裏は居場所を失って宙ぶらりんになってしまった。床に押し付けても落ち着かない。ふと視界に入れたテレビではミネラルウォーターのコマーシャルが流れている。いっそのことコンドームのコマーシャルでも流れていてくれれば、オレの頬は赤くならずに済んだのに。



 ひと通りの準備を済ませてバスルームから出るのと、ナックルが帰ってきたのはほとんど一緒のタイミングだった。ナックルは靴を脱ぎ捨て、こちらに歩いてきた勢いそのままに性急なキスをした。歯がぶつかり合わなかったのはほとんど奇跡と言っていいくらいの勢いだったので、オレは少し仰け反りながらも、健気にキスに応えた。ビニールを持ったままの手のひらが頬を捕まえる。すぐそこでガサリと音をたてるビニールは夜の静寂を変に際立たせることはなかった。ただただ、耳障りで、うるさい騒音だ。


 深夜のしじまは裸足で逃げ出したのだ。耳にあるのはガサガサと忙しないビニールの音と、恥ずかしいくらいに荒い、お互いの吐息の喧しさだけだった。


 ナックルとオレは別に思いの丈を伝え合ったわけではないが、想いが通じ合っているのは紛れもない事実だった。太陽が東から昇れば西に沈んでいくように、当たり前のこととして、そこにとんと存在していた。もちろん、最初から自然にキスを交わす関係になるわけはないから、なんらかの疎通はあったのだろう。言葉とは、また別の方法で。最初にキスを仕掛けてきたのはナックルのほうだったから、その方法や切掛は、オレの預かり知らぬところにある。どうやって確信を持ったのだろう。それとも確信なんて持っていなかったのだろうか。どちらにせよ、オレはナックルがキスをしてくれてよかったと思っている。恥ずかしさよりも気まずさで憤死してしまうだろうから、絶対に、一生、言わないが。大抵のことは知らないままのほうが楽に生きていけるだろうけど、ナックルとオレの間にあるものを一生気付けないままで居たとしたら、お互い辛かっただろう。
「シュート」
熱っぽい声に瞼を上げると、綺麗な形の喉仏が視界に入った。ナックルはオレの喉仏を良く甘噛するけど、今はそうしたくなる気持ちがよくわかる。中に入れられたナックルのものが熔けそうに熱かった。前立腺を抉るように擦られて、思わず嬌声をあげる。ナックルは気分が良さそうに口角を上げると、律動を激しいものに変えていく。
「集中しろよ」
視界が弾けるような快感。ナックルに唇を塞がれ、汗で頬に張り付いた髪の毛を手で優しく払われる。オレはナックルの背中に右手を回して、肩甲骨に指を引っ掛けた。顎を伝ったナックルの汗が、鎖骨にポタリと滴り落ちる。絶頂はすぐそこにまで来ていた。





 目の前に差し出されたペットボトルを受け取り、喉を潤す。サイドテーブルに置きっぱなしにしていたから、キンキンに冷えているわけではないが、火照った体には十分冷たく感じられる。ナックルも同じようにペットボトルに口を付けて、一気に半分まで飲み干した。キャップを閉めたペットボトルを持て余していると、ナックルが自分の分も一緒にサイドテーブルに戻してくれた。触れ合う足に、ふと思い立つ。
「今日、本当はなんでうちに来たんだ?」
何気ない風を装って尋ねると、ナックルは「お前のこと考えてたら、」とまで口にしてから、しまった、と雄弁に語る顔を枕に埋めた。続けて「バカ野郎」とくぐもった声が聞こえてきた。部屋にはまた静けさが戻っていたので、オレの耳に届くには安易すぎた。今夜はきっとぐっすり眠れるだろう。外を走る車の音は、部屋の心地良い静寂を見つけさせてくれる。ナックルの耳は、それはもう、真っ赤に染まっていた。バカ野朗は、一体どちらだろう。























ナッシュは深夜のコンビニが似合う!深夜のコンビニに行くだけのナッシュを書く!書く!
って思ってたんですけど性的な雰囲気になったのでナックルくん一人にコンビニに行ってもらいました。
深夜の静けさにテレビの音が重なって押し出される静寂っていうのがとてもえっちだなぁとずっと思ってて
それをぽろっと書くことが出来たのでよかったです。